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- コミュニティデザインと面識経済1(山崎亮)
第1回「『コミュニティデザイン』について」
・デザイナーとしての反省。
・パパネックの『生きのびるためのデザイン』。もっともいかがわしい職業としての「広告」。その次にいかがわしい職業としての「デザイナー」。不必要なものを欲しがらせて、金銭的に無理させてでも購入させる仕事?
・自分の「作品」を世に問うて有名になって、新たな仕事を得る「建築家すごろく?」。利用者の意見を聞くと、最先端のデザインができなくなる?
・コミュニティデザインへ。利用者の話を聞いてデザインへと反映させる「ワークショップ」三昧の日々。(大阪府茨木市の「おにクル」)
・空間をつくらないコミュニティデザインへ。地域医療や地域福祉、アクティブラーニングや社会教育、関係性を重視した観光、コミュニティを支える商業。中山間離島地域のまちづくり。
・ワークショップにおける「経済」の話。儲かるまちづくり?ローカル経済とグローバル経済。「それはマクロスケールの経済思想じゃないの?」。
- コミュニティデザインと面識経済2(山崎亮)
第2回「『面識経済』について」
・ラスキンの『この最後の者にも』における「富」とは?Life。studio-L。ラスキンからモリスへ。そしてバウハウス、ライト、モダンデザインへ。国の経済成長を支えるモダンデザイン。ルイス・サリヴァンの「形態は機能に従う」。→手術台の上で食事したい?
・イリイチの「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」=「足るを知る」ための叡智。
・シューマッハーの「経済って一部だよね」、「だから全体が見えなくなるよね」。
≒ポランニーの「経済に埋め込まれた社会への大転換」。ワークショップの場では、もう一度「大転換」を(地域社会にきっちり埋め込まれた面識経済へ)。
・ケインズの第一のニーズ(物理的ニーズ、絶対的ニーズ)と第二のニーズ(精神的ニーズ、相対的ニーズ)。クーリーの第一次的理想(われ)と第二次的理想(われわれ)。
→ボードリヤールの『消費社会の構造と神話』
・ケインズの『孫の世代』の2030年と「3時間労働」。ラッセルの『幸福論』からの『怠惰への讃歌』と「4時間労働」。
・労働と余暇。仕事とまちづくり。消費的人生と活動的人生。アレントの『活動的生活』と『精神的生活』。
・デカルトの「我思う、ゆえに我あり」。我を形成しているのは、多くの我々ではないか。それなら「我思う、ゆえに我々あり」も成立するのでは(クーリー)。